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小さな技術、手の内にある暮らし

40年ほど前までは、コークスを燃料に
一つひとつ手作業で鉄の生型鋳造をする工場が
高岡に50件以上あったそうですが、
いまでは高岡鉄器鋳造所を残すのみとなっています。

この鋳造所も岡さんの引退とともに
廃業の話が出ていましたが、
金属美術工芸品の企画・製造・販売を行う
大谷喜作商店の大谷彰郎さん(写真左)が
事業継承に手を挙げ、
すんでのところで廃業を免れました。



しかし問屋から型屋、加工業者まで、あらゆる業種で高齢化が進み、産地の存続が危ぶまれています。

 「(佐野秀充さん)数が流れるものを作っている鋳造所は、大規模・オートメーション化して電気炉で大ロットで
鋳造するという方向にシフトしていきました。小さいところがどんどん淘汰され、
オリジナルの製品を小ロットで作れるようなところはほとんど残っていないのが現状です。
型屋さんや加工業者さんも小規模・家族経営のところが多く、高齢化で次々廃業されているので、
残っているメンバーで少しずつできることを増やして仕事を流していけるようにみんなで取り組んでいるところです。
とくに鉄の鋳造所はこの一社を残すのみなので、なんとか仕事を捻出したいと思っています。
そういうなかで今までの製品ラインナップではないかまどの部材を作らせていただけたことはものすごくうれしいことでした。」



愛農かまどの部材の型各種。


「愛農かまど」と銘の入った扉のオリジナル品が製造されたのはおそらく70年以上前。当時はロゴまで含めて手彫りした木型を直接砂に埋めて鋳造していたのだろうと佐野さん。

受け口は薄さと高さがあり、今回は半自動の機械で生型を作成したそうだがそれでも難易度が高く、
オリジナル品が製造された当時はすべて手作業だっていたことを考えると、「当時の鋳物師の技術の高さを感じる」とおっしゃっていた。


岩手県や山形県といった日本有数の鉄鋳物の産地からも鋳造の問合せがあるそうで、
「小ロットのオリジナル品を鋳造できるような小規模の鋳造所が全国的に減っているのは間違いない」と佐野さん。
10年ほど前からは産地の未来を見据えて、技術的に難易度の高い一点物の特注品の製作も受け始めたのだそうです。

「きっかけは、複雑な造形のなかにガラス玉を入れたものを造りたいという依頼でした。
ラフスケッチを見て別の問屋では断られたそうなんですが、高岡にはすごい職人がたくさんいるので『できる』と思って受けました。儲けは少ないかもしれないですが、
難しいことにもチャレンジしていくことがのちのち鋳物の町として生き残っていくための助けになるのかなと思っています。」

佐野政製作所の商品購入はこちらから 

最近ではデザイナーと共同で企画・開発を進めた自社製品を作り始めているという佐野さんは、
企画から関わった物や依頼された特注品を形にし、お客様に喜んでいただくことを通して、
ものづくりの楽しさを感じ始めているのだそうです。
「これからも使う人の心に訴えかけるような、ちょっと幸せになれるようなものを作って行けたら」と展望を語ってくださいました。

かまどの部材のように表面がスムースなものを鋳鉄するには「技術がいるし、手間もかかる」と佐野さん。
鉄を型に流し込む過程でガスが発生するのだそうだが、生型を作る砂の粒子を細かくするとガスの逃げ場がなくなり、
製品に穴が開いたり、ガスがあることで鉄が流れなかったりということが起こるのだそう。
なかでも釜輪と扉の受け口の鋳造は難しく、佐野政さんの手で調整しても製品として出せないものも複数個出来上がるとのこと。

型に入れた時に気泡が入ってしまった金輪。
強度や機能に問題はないが出荷せず、
材料として溶かし、再利用するとのこと。

使い捨て前提の大規模大量生産・大量消費ではなく、小さな技術を用いて人の手で手間暇をかけて作られた道具を、
大切に、壊れても直しながらずっと使っていけるような、そんな暮らしのあり方があたりまえな社会になってほしいと思うとき、
手仕事による物作りを行う小さな事業所とそれぞれに受け継がれた技術が残っていってほしいと切に願います。

愛農かまどもそのような暮らしを作る道具のひとつであり、
その部材の復刻が微力でもその一助になれるなら、それはとてもうれしいことだと感じます。
できるだけ多くの方に、その価値をお伝えしなければと思いを新たにした訪問となりました


(愛農会機関誌『愛農』2024年1・2月号掲載記事をアレンジ)

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