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愛農かまどの鋳物製の部材を復刻
愛農かまどは、みんなで手作業で造り上げるかまどです。
モルタルを練り、レンガを積み、一段一段かまどを築き上げたのち、羽釜を置く掛口に金輪を設置するのですが、
昨今、耐久性の高い鉄鋳物製の金輪で
愛農かまどに合うサイズのものは
手に入れるのが難しくなっていました。
聞くと、九州にあったという鋳物屋さんが廃業し、
現在国内では製造されていないのだそうです。
いっぽうで愛農かまど人気が高まるにつれ金輪の引き合いも増えていき、
愛農会では大きさの違う2種類の金輪(内径330ミリの大と、300ミリの小)と、
野呂さんが北村さんから譲り受けた「愛農かまど」と銘の入った焚口の扉の復刻を検討し始めました。
ちょうどそのころ、
鋳物の町・富山県高岡市にある病院でリハビリファームのプロジェクトを進めていた愛農会会長の飯尾裕光が
鋳物製品の受注・製造・販売を行う「有限会社佐野政製作所」を紹介される機会があり、
愛農会にある愛農かまどで使っていた金輪と扉の現物をもとに復刻をお願いすることになったのです。
これら鋳物類がどのようにして造られるのか、現場をお訪ねしてお話をお聞きしたいと思い、ようやく暑さがやわらいだ2023年9月末、富山県高岡市に佐野政製作所を訪ねました。
発注から数ヶ月を経て、
ずっしりと重い鉄鋳物製の金輪と焚口扉が送られてきました。
表面の手触りはざらりとしながらも
柔らかで温かく、表面の仕上がりに
一つとして同じものはなく、
それぞれに味わい深い鈍い光を放っています。
鋳物の町、高岡
高岡の鋳物の町としての歴史は、いまから400年以上前の1611年、加賀藩2代目藩主前田利長が産業振興のために7人の鋳物師を招き、城下の金屋町に鋳物工場を作ったのを発端に始まりました。
江戸時代は鉄鋳物製の農具や鍋釜を生産し、幕末から明治以降は銅合金の美術工芸品で発展し、
現在でも銅合金の鋳物では国内トップシェアを誇るのだそうです。
佐野政製作所は、そんな鋳物の町高岡で鋳物製品の仕上げ加工をやりながら、
産地に息づく職人の技を繋いでオーダーメイド品の受注製作や自社商品の企画・製作を行っている会社です。
創業者であり現社長の佐野賢治さんの祖父が創業し鉄鋳物の製造を行っていた佐野為鋳造所から
事業を受け継ぐかたちで創業したことがあり、鉄鋳物の製造を得意としています。
今回の復刻を中心となり手がけたのは二代目の佐野秀充さん。
25歳の時に家業に携わるようになり、以来、高齢化で小規模の事業所が次々と廃業するなか、
若い後継者たちと手を携えて産地の火を消すまいと奮闘されています。
佐野政製作所のみなさん。
右から3人目が社長の佐野賢治さん。
左から2人目が二代目の秀充さん。
家族・親戚6名で営んでおられる。
次のページではどのように鋳物製造を行うのか、どのように愛農かまどの鋳物が出来上がったかを紹介します。